私はこれまで家族以外の人との会話をあまりせずに成長してきました。学校では休み時間に読書をする、または、課題に時間を割くなどをして過ごしました。一応会話に加わる機会は幾度となくありました。しかし、自分から発言することはなく、ほとんどの時間を聞く側としてコミュニケーションをとっていました。
ですので、自分の会話力をほとんど意識することなく大学生になりました。
大学生になり様々な機会を得られるようになりました。
教育系の活動に参加したかった私は、学童保育サポーター業務や中学生への学習指導などを経験しました。まさかこの経験から、自分のコミュニケーション能力の低さが分かってしまうとは夢にも思わなかったです。子どもたちに自分の話した内容がうまく分かってもらえない、何から話せばいいかが分からない、といったことが現場で多々ありました。
私はまさかこんなに自分のコミュニケーション能力がないとは思っていなかったので、これからのことにくじけそうになりました。しかし、何事もやらなければ何も起こらないことを知っていたので、ひとまず課題を改善する方法を考えることにしました。
まず私が行ったことは、自分がその経験の中でだめだと思ったことを具体的に書きだしてみることでした。その中で、パターン化した説明しかしていなかった、説明の際にいちいち言葉の意味を説明しながら話していた、というものが挙げられました。
このように書き出してみることで、問題が可視化され具体的な改善策が出てくるようになりました。その策とは、結果から話すように意識する、使用する言葉のレベルを合わせる、相手の理解力を信じるといった、当たり前のことを行うことでした。会話をほとんどしなかった私にとってはこれらを意識して会話をすることは、大変なことでした。ですが、努力を重ね続けました。
今もこれらを意識して話せるように、日常生活において努力し続けています。まだはっきりとした結果は出ていないのですが、私としては会話のキャッチボールが少しできるようになってきたように感じます。
入学前の私と今の私を振り返ってみると、会話を自発的に行うことが増えたように感じます。少なくとも自発的な挨拶をすることができるようになりました。そこから、会話を始めることもできるようになりました。
この成長体験はいまだに終わってはいません。しかし、話す側としてコミュニケーションをとることに対する無知を知り、また、意識して努力する大切さを学びました。